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阪神・淡路大震災に学ぶ 2009
【震災学習】昼の月

2009年1月17日 午前5時46分
前代未聞の大地震が起きてから、15年目の朝を迎えた。

1995年1月
私が大学院を修了するための修士論文と格闘している時に
あの大きな地震は阪神地区を襲った。

この年の1月はほとんど布団で寝た記憶がない。
布団に入ってぐっすり眠ってしまったら、提出期限に間に合わないくらい
ぎりぎりになってもできていない論文
1995年、平成7年の1月は小さな炬燵の上に資料を広げ
論文が一段落したら、ごろりと横になり少し眠り、また書き続ける
そんな日々を送っていたときのことだった。

あの年の4月から私は教壇に立ち
高校生や中学生と暮らしてきた。
そして、担任するクラスを持つようになった頃から
この阪神・淡路大震災のことを生徒に伝えはじめた。

特に、現高校2年生の生徒たちと中学3年の時にいった修学旅行は
遊びに行くだけが修学旅行ではない
神戸の町へ学びに行こう!と学年の先生たちも賛同し
しっかりと事前授業をしたりもした。
(そのときのことは旧ブログに掲載しています。)

今、私が担当している学年は中学校2年生
平成6年~7年に生まれた生徒たちだ。
つまり、この震災が起こったときにはまだ生まれて間もない赤ん坊か
もしくは、もうすぐ生まれてくる胎児だった子供たちだ。

この生徒たちにこの震災の話を伝えていくにあたって
私が自分自身の心に問い直し続けていくことが多くなった。

「私はなぜ、この阪神・淡路大震災のことを生徒に伝えているのか」また
「そこで、伝えたいことは一体なんなのか」ということだ。
ただ、地震の怖さや被害の大きさだけを伝えるのでは意味がない。
生徒たちは、「体験していないから分からない」という。
それは、当然だ。
しかも、いつどこでおこってもおかしくない地震列島日本。

この震災は過去のことになりつつあると感じている。
しかし、そんな時だからこそ真剣に何を伝えたいかを明確にして
次の世代へ伝えたいことを自分自身の中に問い直してみた。

私が教育を仕事にするなかで生徒に伝えたいことは何か?

それは「命」なのだ

「生」を語るにしろ「死」を語るにしろ「国語」を学ぶにしろ
すべては、「命」につながっているのだ。

今年、初めて自分の担任するクラスではなく
すべてのクラスから編成される総合の時間にこの震災の学習をした。
「人権・福祉」という領域を私は担当している。
その分野を学びたいと集まった生徒45人と
毎週数時間の授業を共に過ごしている。

4500人以上の方が亡くなったこと
君たちの先輩は修学旅行でUSJではなく「人と防災未来センター」へ全員で行ったこと。
被災した私の友達(マロンさんのことなんです)に伝えたいことは何ですかと聞いたら
「命の重さ」と「人のつながり・温かさ」と教えてくれたこと
また、3年前に石川に住みながら神戸大学の息子さんをなくされた方に
この場所に来てもらって、話をしてもらった内容などを語った。
(そのときにお話してくださった今さんの手記は昨年掲載しました。)

また、同じ町内に住んでいた妹の同級生が神戸からパジャマで帰ってきたこと。
朝、地震があったのでパジャマで必死に脱出。
アパートがつぶれたため必死に実家をめざした。
神戸から電車の通っているところまでその姿で歩き
大阪駅を目指す途中で、富山に帰るOLのお姉さんと知り合う。
無一文で逃げた彼女に
「私が二人分の切符を買うから一緒にサンダーバードに乗って帰ろう」って
お金を出してくれた人がいて、帰って来れたこと。
石川にパジャマで帰ってきたと聞いて、私たちがすごく地震を身近に感じたこと

また、当時神戸のデパートに勤めていた私の友人がかなり早い段階で
壁のないデパートが再開したことを教えてくれた。
なんで、みんな大変なときにオープンするの?と聞いたら
「安心するでしょう?」って笑って教えてくれたこと

当時、本校の図書室に数冊入れてもらった
この震災に関わる本があるからと紹介したりもした。

最後に、だんだんと記憶が薄れていく中で
なぜ私がこの話をみんなに伝え続けるかも話をした。
それは
残念だったねとか大変だったねというだけではなく
その中から復興してきた町を見て欲しいこと
ただ楽しい、素敵とみるだけではなく
しっかりと自分の目で見てきて欲しいこと
そして、そこでどんな災害があったか知って訪れてほしいこと

また、この大きな地震が私たちに残した教訓や教えを
しっかりと受け止めてほしいとしめくくった。

2009年1月17日
NHKスペシャルであの日からどんなことが課題となっていたかを
検証し放送した。
学校の社会にも通じると思った。
マロンさんから当時借りたたくさんの資料の中に
避難所の中には自治活動を自発的に行った場所が数カ所あったと記載があった。
マロンさん一家がいた避難所がその自治活動をおこなった避難所だった。
ご主人が近所の仲間とその組織を創り上げていたようだった。
その当時、マロンさんのご主人ってすごいな~と読んでいた資料。
そのことが今年、頭をよぎった。

学校がだんだんと人任せになっていっている。
それを救うのは、やっぱり当事者の自治力なのかも知れないと。
震災のこととは少しずれるように思われるかも知れないが
今年、あらためて考え直した「なにを生徒たちに伝えたいのか」の答えに
一歩近づいた気がする。
そして、4500人あまりの命が亡くなったあの大きな地震から
今年学んだことなのです。

続きは、この授業の後に生徒が書いた感想の中からの抜粋です。
長くなりますが、よかったら読んでみてください。

【震災学習】寒椿


「大震災」といっても、私は全然実感がわきません。
とても恐ろしいことなんだろう、とは思うけど
やっぱり体験しないことには、本当の恐ろしさや
本当の被災者の気持ちは分かることはできない気がします。
一瞬でたくさんの人やモノを失ってしまった大地震。
そこから、私たちは何を学び生かしていけばよいのでしょうか?
本当の恐ろしさは分からなくとも、修学旅行で神戸に行ったときには
そんな大地震が何を残したか勉強していきたいです。
関西のおばちゃんのように地震にも負けないような明るい人がいたことや
今日の話で聞いたように大切な人を失ってしまった人がいたこと。
他にもこの地震で色んな思いをした人がいたことを神戸で感じたいです。
それが、私のできることだと思います。

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【2009/01/19 00:11】 | 未分類 | コメント(6) |
<<ドキュメント「食の思い出~心のひきだしをあける~」予告編 | ホーム | 海人君とゆいちゃんそして子供たち>>
コメント
メールとかぶりますが...
私は、当時16歳の高校1年生。実家の奈良の自宅でした。
早朝布団の中だったのもあってさほどの恐怖心もなくて。
起きてた母は悲壮な顔で「大丈夫か!?何ともないか!?」
駆け上がってきたのを覚えてます。
大げさやな~友達と笑い合って部活に出かけ、帰ってきたら
…死者何百、何千…どんどん増えて行く報道。
そこで初めてゾーッとしたのも鮮明に覚えています。
もちろん、笑ってしまっていた自分に辛くなってしまったことも。

連絡もままならず交通手段も遮られた兵庫・西ノ宮の父の姉宅に
登山リュックで、途中から線路沿いを何キロも歩いて
食糧を届けに出かけた父の行動も。
その後何度も何度も目にした報道も。たくさん覚えています。

すっかり復興した神戸の街。大震災。
私は、「戦争」と似てるのかなって思います。
不謹慎な表現で間違ってたらごめんなさい。
規模も、意味も、全然違うけど。。。
いくら体験者の語りを聞いても、映像を見ても
やっぱり想像と、実体験って、違うし。
体験した人には一生忘れ得ない出来事で、
聴いただけの人の記憶はやがて薄れる…。
でも、何も知らない・聞いたこともないのとは絶対、違うと思います。
景色だって、そう。
焼け野原の戦後の日本。震災後焼け野原になった神戸の街。
どんどん復興を遂げて、いつの間にかそれが当たり前の景色だったかのように…。
でも、たとえ一度でも写真や映像を目に焼き付けているのといないのとでは…
やっぱり違うと思います。
おじいちゃんおばあちゃん達が戦争を語り継ぐように、
大震災って、方々で語り継がれることってあるのかなぁ…。

そんな事を朝一の由美子さんのメールに「高校生でした。」って
返してからずっと考えてました。
そうして、戦争を知らない子供たち、と同じように、
震災を知らない子供たちがどんどん増えて行ってることを
今読んで、改めて、ハッとしました。知らない子…そうか…。

由美子さんにメールで振られることなかったら、正直、
あの日のこと、語る場面ってなかった。
そう思うと、被災者ではないけれど、少しでも知ってること、
せめて自分の子供たちには伝えていかないといけないと思いました。

大きくなったら、じいじのリュックの話、しよう。
【2009/01/20 00:25】 URL | *smile* #-[ 編集]
阪神・淡路大震災から学ぶべきこと、今でも多いです。
最初にテレビで、変わり果てた神戸の街並み見たときは、何がんだかわからない状態でしたからね。

今でもしっかり覚えています。
【2009/01/20 20:23】 URL | KA-SAN #mQop/nM.[ 編集]
由美子さん、こうして生徒達に震災学習をしてくださって、
本当にありがとうございます。

命の重みと、人と人とのつながりの大切さ・・
地震で得た教訓はなんて大きなものだったことでしょう。
価値観が大きく変わった瞬間でもありました。

それから全国の皆さんからいただいた、
温かな励ましや、救援物資・・
決して忘れることは出来ません。
こうして生かされている命を大切に、
少しづつ、お返ししていくくことが出来るといいな・・

地震を知らない世代に伝えていくこと、
大変でしょうけど、これからも由美子さん
頑張って伝えていってくださいね。

最後にやはり、備えあれば憂いなし。
家具の固定、防災グッズの準備等、
みなさま、どうぞ今一度御確認くださいね^^

【2009/01/22 23:07】 URL | マロン #GYnFN4Ng[ 編集]
♪smileちゃん♪
 お返事遅くなってすいません。
 丁寧なコメント本当にありがとう。
 きっと神戸でなくても関西の方には
 とっても大きなできごとでしたよね。

 おじいちゃんのリュックの話
 きっと語って聞かせてあげてくださいね。
 そうやって、人は人を気遣って
 つながって生きているんですものね。
 
【2009/01/29 20:42】 URL | 由美子 #-[ 編集]
♪KA-SANさん♪
 お返事遅くなりすいません。
 関西の方にお住まいなのでしょうか?
 
 私もTVを見てただただ驚いたのを
 今でも覚えています。
 
【2009/01/29 20:44】 URL | 由美子 #-[ 編集]
♪マロンさん♪
 お返事遅くなってすいません。
 
 あの時貸していただいた資料の中からも
 たくさんのことを学びました。
 あれからもたくさんの大きな地震があったけど
 やはり、あの地震から学んでいたことがあって
 ずいぶんやくに立っていたのではないでしょうか?

 毎年、毎年お世話になっています。
 ありがとう。
 来年からは次世代になります。
 しっかり伝えたいことを整理しないと
 ただの歴史上のことになってしまいます。
 考えなくちゃ。また知恵を貸してね。
【2009/01/29 20:47】 URL | 由美子 #-[ 編集]
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